突然のお知らせになりますが、現在当画廊は移転のための準備期間をいただいており、展示業務は当面の間お休みしております。諸事情で急な移転になったために、お知らせが遅れまして申し訳ありません。
遡れば2014年、小さな画廊を谷町四丁目に開きました。古いビルの階段を上がって辿り着くそのささやかな空間で7年間過ごしました。心に残る展覧会の数々、また北窓から見える木々も季節ごと目を楽しませてくれました。私が画廊を始めたのは、10年ほどの画廊勤めを終え、数年の休職期間を経てのことでした。少し長いブランクを経て、なお自身で再開しようと思ったのは、これまで出会った鮮烈で美しい作品があったからです。一度職を離れ立ち止まり再び自分の人生を考えたときにまたやはり私は美術の世界を選んでいました。開廊以来、私自身の目で長く一緒に付き合いたいと思える、魂が宿るような作品、どこかで記憶とつながっているような…そのような作品を紹介してきました。より遡りますと私の生来の環境には様々な国や時代の美術、工芸品が所々に設えられていました。異なる場所で生まれたものたちが時間を超えて出会い共鳴し合う空間は不思議な安堵感をもたらしてくれました。そのようなものに触れているうちに私の中に一つの「美への憧憬」と「安堵ともいうべき充足感」が育ってゆきました。古いものをただ是とするだけではなく、それら残されてきたもの達に込められている「何か」は、未来を照射し、更新されてゆく「現代」を浮き上がらせてくれます。移転に際し、自身の原動力となったこれまでの美術との出会いについて少し記しました。
さて、やっと「これから…」の話になりますが、美術愛好家にとって画廊は最新の美術を知る場所として、気兼ねなく扉を開けてくださいますが、大多数の人にとって画廊は一生に一度入るかどうか、何か特別な場所のように感じられていると思います。最新の作品が展示され批評が交わされる「進行形の美術」と出会う場所、それが現代美術のプライマリーギャラリーです。また、一般的な「現代美術」「アート」という言葉がもつイメージについては、良くも悪くも実態と異なった解釈をされがちで、本質的に違うものまで一絡げにされる誤解があり、私の求めている「美術」とは違和感があります。当画廊のスタンスからあえていうならば単に「今の美術」ともいうべきでしょうか。多様化した「現代美術」の中で当画廊なりの「美術の基準」を問いかけたいと思います。これまで共に仕事をしてきた真摯な作家たちとの出会いに感謝し、より発展させたいとの思いで、今秋(2021年11月)に事務所を移転、来年(2022年)初頭に新スペースのお披露目を考えております。展示再開の折はご挨拶申し上げます。休廊期間中は、ご面倒をおかけしますがメールでご連絡いただきますようお願いします。また、BCCによるご案内を希望される方はぜひメーリングリストからエントリーくださいませ。
新しく歩み始める+Y Galleryにどうぞご期待ください。長い休廊になりますが、どうぞどなた様もお元気でご自愛くださいますようお祈りしております。皆様に再会できる日を心より楽しみにしております。
2021年9月 +Y Gallery
節目というわけではないが、95年に個人的に関わった展覧会と出版について記しておきたいと思う。1月17日の阪神淡路大震災、私の住んでいた地域は関西でも直接的被害はなく揺れのみだった。が、日が経つにつれ被災地の知人の情報が入ってきていた。当時私は画廊勤めで、2〜3月頃だったか、美術批評の室井絵里さんの紹介で作家の赤崎みまさんが相談に来られた。赤崎さんは自身も被災にあいながらも「何かしたい」という意欲を持っていて、形も決まらぬままであったが熱意に賛同し協力することになった。その日から赤崎さんや、山下里加さんなども交えて展覧会に向けての話し合いが始まった。話し合いはオープンで、時にいろんな人が来て、多くは終電間際まで行われた。当たり前のことだが同じ関西でも場所などによる経験の違いが大きく、その違いから、まずは場所や、立場、年齢や経験の違う美術関係者にインタビューをしようということとなった。
他にも震災後に急増した「チャリティー展」をどのように考えるかということがあった。作品売り上げの一部寄付、もしくは作家へは「作品の無償提供」という形で依頼されることもあったように思うが、そうではなく震災そのものを考える展覧会にできないか、ということであった。「Report on-1月17日を通過して」という展覧会は運営方法にも当時の話し合いを反映させる形となった。展覧会の売り上げは通常通り作家に支払いし、それを寄付するかどうかは自身で決めてもらうこととした。出品者の中には自身、被災している人もいるのだ。今思えば震災後3−4ヶ月の傷もまだ癒えない中の、無謀ともいえる試みであったが、その時でしかできないことだった。多数の作家さんに展覧会の依頼をして、最初に作品を届けてくれたのは堀尾貞治さんだった。あまりに早く明確な行動に驚いたことを覚えている。筒状の包みに和紙が入っていて、広げると墨一色で震災後の街の風景が4Mのパースペクティブとして描かれていた。展示依頼への返答として普段からの仕事を出す方もいた。展覧会は作品展示と、インタビューを読むコーナー、来場者に書いて頂いた意見を張り出す掲示板コーナーで構成された。インタビューを読むコーナーではソファに長時間滞在する人もいて、私はそっと遠くから見守っていた。
山下さんが行ったインタビューは「震災と美術をめぐる20の話」として、主に画廊と、一部(株)インシックの野村氏とで出資しささやかな本にした。インタビューを編集する際も「編集」という作業を極力行わないこととした。紙面をすっきりと仕上げることは置いて、文字を追いかける人がまるで話し手と対面しているように、言葉遣いや間合いなどもできる限り再現したい、ということになった。テープを書き起こし、話し手と相談して話が重複するところだけ省略した。インタビューを受けた日付を見て欲しい。山下さんは、普段の仕事の合間に短期間でこのインタビューを行った。インタビューを受けてくれた中には、この世におられない方もいる。展覧会と出版に協力して頂いた方々には感謝している。
企画の話し合いの中で「1月17日を通過して」と副題を付けたのは、未来の視点からみればあの日は「通過点」としての1月16日と1月18日の間の1日で、前後に続く時間の連続の中で見る、ということであったかのように思う。今から思うと企画者の殆どが20〜30代初めの若くつたない企画であったかと思うが、当時の私たちには精一杯だった。また、勤めの画廊は企業だったからできたことで自主運営の画廊なら実現出来なかったことだ。とはいえ、公立の場でなく民間であったので資金には限界もあった。何かできる立場の人は組織ゆえの大変さもあると思うがその立場を存分に生かして欲しいと思う。また、当時運営面では、「チャリティーは素晴らしいが、画廊としては美術と社会の接点はチャリティーだけではないだろう…」ということを考えていたように思う。美術と社会を対立項におくのも変な話だが、震災を通じて溝は明確になったし、現時点で私はむしろ美術はそれでいいと思う。全てが混乱していた当時、大正生まれの作家さんと話していたら、微笑みながら「リアリティのある過去は昨日のことのように…手に取るように思い出す。今という時間は可能性に溢れている。」と話されていた。きっとそこには戦争などの辛い思い出も、アンティームな幸せな思い出も含まれているのだろう。失われた時のマドレーヌは、思い出すたびに幻視されているのかもしれない。
震災のような非日常のリアリティは美術のそれとは別だ。それは明確に線引きしなければならないと思う。そうであっても日常の表層が剥がされる「非日常」で考えることはいくつかあるように思う。翻って2020年、私は大阪の小さな画廊で自身が長く愛せる作品をゆっくりと紹介している。SNSが発達し作品は情報のように画面に溢れるが、全く慣れない。ましてや人の内面をや、と思う。大事なことは、作品の細部や語りきれない豊かさを全体として「自分の眼」でみることだ。それをなくして何があるというのだろう。美術の表層は様変わりし、つくり手や見るものの内面も変わる。それも日々の積み重ねの中で起ることで、私の今のリアリティは画廊の仕事に日々反映され、その中には95年の1月17日も、それ以降の自身の考えも未来も詰め込まれている。当時の関係者で今は全く関係が遠のいた人だっている。仕事をしていてどうしても埋められない信条の差が生まれることもある。終わった関係に後悔は一切なく、二度と戻ることはない。時間は前に進んでいる。それであっても常に今を支えてくれるような素晴らしい作品との出会いもある。それはマドレーヌのようにくっきりと心の中にあり、色褪せることはない。自分が「選んでいること」、画廊で「これからみせてゆくこと」は、全ての過ぎた時間への回答でもある。(2020/01/18)
不定期に刊行している『mysm+Y』(みずむぷらすわい)、このたび5号発行いたしました。合わせて1−5号までの合本も制作しております。当mysmは、美術批評なども寄稿いただいておりますが、合わせて散文などの(一見?)遊び的部分に加え、画廊の骨子とも言える作家の言葉(ステートメント、座談会など)も掲載しています。編集は自在で、「この話は何かに残したい、発信してゆきたい」と思える内容を他の文章との取り合わせなどを考えながら、まさに編むように集め一冊の本にしております。時に編み目は大きくなったり、詰まったりもしながら…まとまってゆく有様は、制作する側の楽しみとしてありますが、一番嬉しいのは読んでいただいた方から感想をいただく事です。違う場所で発生した文と文が、思わぬシンクロを見せる不思議な働きを感じながら毎号制作しています。『mysm』は画廊の2016年からの記録でもあり、画廊のメッセージが散りばめられた骨子です。ぜひ今後ともお手にとって頂ければ幸いです。(2018年5月25日)
2017年はおかげさまで画廊としても印象深い個展(北辻良央、橋本倫 、大森博之各氏)企画やアートフェア参加、また「mysm+Y」も順調に4号(特装合本!)発行など、充実した一年でした。4月の橋本倫 展は会期後にパンフレットを作成いたしました。
貴重なお時間を割いて画廊にお運び頂いた皆様、また当画廊の様々な活動にご協力頂いた皆様、心より感謝申し上げます。2018年は、個展やアートフェア、個展パンフ作成、「mysm+Y」vol.5の発行などを計画しつつ…本当に美術を愛する皆様に画廊が何をお届けできるかを考えながら年末年始を過ごしました。年始は1/9より北辻良央 全版画Ⅱの会期の後半が始まります。1月末ー3月初めは竹内義郎の関西初個展、ア-トフェアAiPHT2018と続きます。どうぞ本年も+Yを宜しくお願い申し上げます。
(2018年1月吉日)
ART NAGOYA 2017が終了しました。Art Fairsに記録写真を掲載しました。初出展のため欲張って沢山の作家さんを紹介しましたので、それぞれが少しになってしまいました。それでも名古屋圏では初お目見えの作家さんも多く、皆様の記憶に残っていればと思います。個展などでご覧いただくと、作品の世界観をより直感的にご理解いただけるかと思います。やはり個展を見ていただくことが大事なのです。ぜひお気軽に画廊に足をお運び頂ければと思います。
今回出品の橋本倫さんの展示は4/9(土)から始まります。ホームページでも告知してゆきます。どうぞお楽しみに。
内容 北辻良央(オブジェ彫刻とドローイング、限定版画本など)
黒川弘毅(彫刻)
吉原英里(版画)
大森博之(彫刻、版画、木彫)
駒形克哉(ヘリオグラフによるエディション作品、立体)
橋本倫(油彩)
越前谷嘉高(絵画)
黒須信雄(絵画、木彫)
竹内義郎(油彩)
▲今回はお城の真正面の部屋でした。
東京・汐留でのホテル型アートフェア「AiPHT2017」が終了しました。来場ありがとうございます。
Art Fairsに出品リスト(下記)を掲載しています。今回は、北辻良央の70年代と現代を往還するような作品を展示しました。北辻は、1971年に「男女群島(男島篇)」(白地図を鉛筆でトレーシングペーパーにトレースを繰り返した作品)を制作し、広く瞠目を集めました。2016年に制作された「男女群島(女島篇)」はその続編ともいえる作品で、当時1971年と全く同じ手法で制作されています。また、希少な初期版画作品を併せて展示。作家の原点と現在を提示いたしました。
※詳細はメールでお問い合わせください。▶︎お問合わせ
本年も+Y Galleryにお運びいただき誠に有難うございました。
振り返って、2016年の企画Line upです。
1月 北辻良央「男女群島・女島編」
同月 『mysm+Y』vol.1 創刊
4月 70's展 情熱と理知 (村岡三郎・北辻良央・黒川弘毅)
同月 詩誌『カナリス』朗読会+座談会(京都)共同開催
5月 80's展 享楽と根源 (大森博之・駒形克哉・橋本倫)
7月 常設-Edition Works Ⅰ
(安東菜々・大森博之・北辻良央・駒形克哉・吉原英里)
9月 90's展 終末と反復 —(越前谷嘉高・黒須信雄・竹内義郎)
10月 『mysm+Y』vol.2 発行
11月 『mysm+Y』vol.3 発行
2017年、展覧会は「YOSHIHISA KITATSUJI 2017」(1月17日[火]〜)で幕を明けます。
前週末、1月14日[土]午後5時から(〜午後7時)開廊し、オープニングパーティをいたします。
ささやかでございますが、お飲み物を用意しておりますので、ぜひお立ち寄りくださいませ。
2月には東京と名古屋のアートフェアに出展いたします。
お近くの方はぜひお立ち寄りください。会場でお会いできればと思います。
★AiPHT Art in PARK HOTEL TOKYO
2017.2.11-2.12 パークホテル東京(汐留)2733号室
http://www.aipht.artosaka.jp
★ART NAGOYA 2017
2017.2.18-19 ウェスティン名古屋キャッスル 911号室
http://www.artnagoya.jp
2016年の出会いと実りに感謝します。
来たる年、皆様のご多幸を祈って。
+Y Gallery (2016年12月30日)
「mysm+Y」、やっと2号を発行することができました。今回は前より少しページが増えて、22頁になっています。
吉本直子さん(美術作家)は前回の「白」の続編として「産婆と奪衣婆」をご寄稿くださいました。吉本さんは布を使ったインスタレーションを発表されています。黒川弘毅さん(彫刻家)は当画廊での「70's展-情熱と理知」に出品頂き、作品についての原稿をお願いしました。北辻良央さん(美術作家)は、美術の制作と合わせて、散文、詩などもお書きになりますが、今回は短編小説です。ぜひ、ご高覧ください。
ネットからの購入は、下記まで。(画廊でも置いております)
さて…、そうこうしながらも、現在は次の3号の編集を進めております。2号に続くように、今回はあまり間を置かずに近日発行できるかと思います。どうぞお楽しみに…。(2016.10.12)
本展は、美術作家・北辻良央の初期作品「男女群島北部地図」(1971年)*と同じ手法で、群島南部に続く「女島」を新たに制作、発表し、その制作の一部を映像記録するという計画のもとに企画されました。(映像は後日公開)1971年の「男女群島北部地図」は北辻の名が知られることとなった初期の代表作です。今回制作された「女島」の地図は、70年代初めに「男島」と合わせて購入したまま45年間作者の手元にありました。
元となる印刷物の地図をトレーシングペーパーと鉛筆で写し、写し取られたもの元にしてまたトレースしてゆく…。元の地図を含め計6枚からなる本作を壁面に一覧し、鉛筆が刻む等高線の硬質な揺らぎに近づき、その一つ一つに見入る時、この作品の持つ構造やシステムの中に立ち現れるものは何でしょうか。また、これらの70年代の概念的な思考は一見して80年代以降の仕事と相反するように見えますが、たえず作者の根底にあり制作の裏打ちとなっていると当画廊は考えています。
展示は約1週間のお休みをいただいた後、2月23日(火)より不定期に継続しておりますので、ご一報いただければ幸いです。詳細は随時ホームページにも告知させて頂きます。何卒ご高覧いただきますよう、宜しくお願い申し上げます。
* 「男女群島北部地図」1971年制作(1974年紛失、1987年再制作) 現在、千葉市美術館蔵
2016年が幕開けました。今年の4月で当画廊は2年となります。本年も幾つかの新たな企画をあたためております。小さくとも実質的な積み重ねが何かを生むと考えています。どうぞ本年も+Y(プラスワイ)を宜しくお願い申し上げます。(2016/1/9)
大阪・谷町四丁目に小さなギャラリーを構えて、一年。2年目はすこしゆっくりとしたペースになると考えられますが、じっくりと仕事をしたいと思います。
6月6日土曜日からは、「仮想コレクターの小部屋」と称して、90年代周辺の北辻良央氏のオブジェ彫刻とドローイングを展示します。そして、7月3日〜5日はホテル型アートフェアART OSAKAに出店いたします。こちらも只今準備中です。お楽しみに。(2015.5.24)
あけましておめでとうございます。
5月のオープン以来6ヶ月、+Yも0.5歳になりました。
この半年は、作り手の真摯さと本質に触れるような企画に関わり、
素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。
新しい出会いと再会に心より感謝いたします。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
2015年 +Y Gallery
[+Y 1月の予定]
12.28[日]ー1.12[月・祝]までお休み
1.13[火]ー23[金]岸本吉弘 新作展 ※予約制
★岸本吉弘作品、国立国際美術館の常設で展示
国立国際美術館(大阪)での常設「コレクション展3」に岸本吉弘の「湖のひみつ」が展示されます。(2013年ギャラリー白での企画展にて展示された大作です)
http://www.nmao.go.jp(ー3.22)
+Y Gallery
〒540-0012 大阪市中央区谷町1丁目3-27 大手前建設会館306
Tel:06-4792-0011 e-mail: info@plus-y-gallery.com
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